ゆとり
のんびりした“ゆとり”ある暮らしをしたいと常々思うけれど、環境的、経済的、社会的にとうぶん無理そうである。
そもそも、時間が余るとかえって落ち着かない性格だったりもする。物事を手際よくこなして時間に“ゆとり”を作ることに熱心なクセに、せっかくできた“ゆとり”を楽しめない。一種の病気かも?
ま、他人から与えられる“ゆとり”を取り入れた教育がどー考えても失敗だったことを考えると、有意義に使いこなせないまでも、自分で“ゆとり”を作ろうとしていることに意味はあるのかな?
さぁて、もう少ししたら最後の一服でもするか...。つかの間の、いや唯一の“ゆとり”の時間もなくなったりして?
...と書いてたら、急に明日、博多へ行くことになった。ひょえ~...
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