ZOW (中田太三)

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2006年8月の9件の記事

2006年8月28日 (月)

演奏家の潔さ

以前、レコーディングを手掛けた邦楽器の演奏家から電話がかかってきた。

『前の時の録音が良かったんで、今度のCDの録音もお願いしたいんですが...』。プロデューサではなく、演奏家自身からそう言われるのはことのほか嬉しかったりする。

俺自身も彼との録音仕事は楽しかった。録音場所もスタジオではなく、鳥の声や雨音がそのまま聞こえるような場所。確かに機材の準備などは手間がかかるのだが、録音を始めるとスタジオのような息が詰まる空間ではないことが穏やかな雰囲気を演出してくれる。

そして何より、彼自身の演奏(録音)に対する潔さに好感を持った。決して手を抜いているわけじゃないし、ノーミスの完璧な演奏だったわけじゃないだろうが、その時その瞬間にできること(できたこと)を大切にする姿勢って言うのかな? 今や珍しい本当の一発録りをする演奏家だ。一発録りというのは、当然、エンジニア側も緊張を強いられるが、手を加えることが最小限なのでこちらも気持ち良い。それはミックスの時にミスの尻ぬぐいではなく、音作りそのものに集中できることを意味する。

経験上、自分も含めて、この“潔さ”を持たない演奏家が圧倒的に多い。今は技術的に音の修正や切り貼りが簡単にできる。やってもいない演奏をエンジニアの手で作れる。誰とは言わないが、携わった中には「これって俺のコラージュ作品じゃん!」みたいなCDもある。1コーラスだけ録って、「2コーラス目は今のを繋いで下さい」と微笑んで言われて目が丸くなったこともある。プロデューサではなく、演奏家自身がそういう感覚というのは末恐ろしい。

このコラージュCD(?)が某雑誌で取り上げられ、「オン過ぎないマイクの空間性が良い...云々...」と高評だったのには笑った。アホゥ!その空間性は演奏の膨大な切り貼りを誤魔化すために俺が合成したんじゃ! 評論なんてアテにならない。が、考えようによっては、自分の技術が認められたと言うことか? ちっとも嬉しくはないが...

ま、その話はおいといて...

今度の彼の録音は今まで俺が扱ったことのない編成(楽器&機材)なので若干の戸惑いはある。が、何より、演奏家とエンジニアの双方が楽しみにできるレコーディングというのはとても大切なことだと思う。

できもしないノーミスの音源に執着する演奏家、比較論としての音圧を稼ぎたがるプロデューサ...、エンジニアが『オトナ』であることを求められる相手だ!

2006年8月27日 (日)

Leadbelly

注文したCDは輸入盤もあったりで一気には来ないのだが、今朝、Pete SeegerLeadbelly のが届いた。Pete Seeger は何度も聴いたことがあるので“ふむふむ”と確認した(?)だけだったが、Leadbelly の音源は初めて聴いた。

オモロイ!

俺はギターやってるクセにブルースはほとんど囓ってないし、おそらく今後も演奏としては囓らないだろう。なので名前だけ知ってて、聴いたことのない人は多い。Leadbelly もそう。1949年に亡くなった人らしいので、この音は1900年代前半だろうか? きっとマイクを立てただけの一発録りだろう。当然モノラル。

何が面白いって、12弦というのは煌びやかなシャランとしたアルペジオや重厚感のあるジュワ~ンとかザ~ワンといったストロークをイメージするのだが、彼はブンブン・ザクザクと弾いている。この独特のブンブン・ザクザク感がたまらない!

こんなんありか?って感じが、音楽は違うが、初めて John Fahey を聴いた時の思わずニヤけてしまった印象と似ている。

そして...今日わかったこと。こういった古い音源のブルースって、誰もいない昼下がりに布団でゴロゴロしながら昼寝がてらに聴くとたまらなく気持ち良い。

2006年8月25日 (金)

まだいた...

12弦ネタ。

mixi に12弦ギターのコミュを見つけた。早速参加してみた。

ふむふむ、他にも12弦アーティストがいるじゃん! 近年(?)亡くなった人のようだが ALZO(アルゾ)という人、なかなか美しい音楽を奏でるアーティストのようで聴くのが楽しみ。

そして、12弦ギター奏者(シンガー)を集めた 『Anthology of the 12 String Guitar』 という名のアルバム。まんまやん!

CDお買い上げ、2枚追加なり...

2006年8月23日 (水)

3度目の12弦

富士山から帰ってきて以来、どうも体の調子がおかしい。まず、1日中眠い。そして体が重くてヨレヨレ。一緒に行った連中はどうなんだろうか?

まぁ、それはおいといて...。どうもここ最近、12弦ギターが気になる。

ギターを弾く人なら1度は興味を持つと思うけど、事実、俺も過去に2度所有したことがある。最初はK.Yairi(厳密にはAlvarez Yairi)、そして Ovation。大抵の人が12弦ギターを買っても手放すことが多い。それは物理的な弾きにくさと、ストローク以外でのサウンド的な扱いずらさ、そして何よりチューニングの面倒さ。かく言う俺もレコーディングで使ったとき以外、ほとんど弾かないまま人に譲った(返した?)記憶がある。

今回は3度目の正直? まだ(!)12弦ギターそのものには手を出していないが、やたらと気になる。

先週、実家でたまたま見た歌番組が興味に拍車をかけた。日本で12弦ギターと言えばこの人、海援隊千葉和臣さん。そして俺の人生を変えたと言っても過言ではない曲、『ガンダーラ』で12弦ギターを弾くゴダイゴ浅野孝己さん(実は俺が12弦ギターを知ったのはこの曲でなのだ。ホテカリではない!)。この2人が同じ番組に出ていたのだから、もう釘付け!

(そう、白状しよう。プロフィール的にはバロック音楽だのハードロックだのニューエイジだの雅楽だのあれこれ書いているが、俺が音楽を志す原点はニューミュージックなのだ!)

世界的に見れば(細かい説明は省くよ!)、12弦ギターと言えばまずは何をおいても Leo Kottke だろう。伴奏楽器だった12弦ギターを極上のインストルメンタル音楽の域にまで高めた人だ。そして1940年代に活躍したブルースの大御所 Blind Willie McTell。さらに同じ頃(少し前か?)には、極悪非道というか実際に何度も殺人事件を犯している異端のブルースマン Leadbelly がいる。アメリカンフォークの世界では、バンジョーを弾く姿の方が見慣れている人も多いだろうけど、Pete Seeger も12弦ギターを良くフィーチャーしていた。

この4人のことは前々から知っていたが、何気にネットで調べたら12弦ギターを中心に活動している人は他にも色々いるようだ。

クラシックギターの世界で12弦ギターを中心に活動している Jason Kessler、これまたブルースの Paul Geremia。そして Pete Seeger
と同じくバンジョーと12弦ギターに加え、Rickenbackerをも使いこなすフォークシンガー Roger McGuinn などなど。

名前を知ったからには音を聴きたくなるのが人情ってもん...

・Leo Kottke (レオ・コッケ)
・Blind Willie McTell (ブラインド・ウィリー・マクテル)
・Leadbelly (レッドベリー)
・Pete Seeger (ピート・シーガー)
・Jason Kessler (ジェイソン・ケスラー)
・Paul Geremia (ポール・ジェレミア)
・Roger McGuinn (ロジャー・マッギン)

以上7名のCDを一気に買ってしまった! 感想はいずれここで書くね。

う~ん、また冬の戦費が減ってしまった。 トホホ...

2006年8月21日 (月)

無念!@富士山

“登らぬバカに、2度登るバカ”と言われる富士登山。構想2年、スノボのレース仲間&仕事のお友達(?)による富士山登山をついに決行しました。

参加した皆さん、お疲れさまー! 幹事長をかってでたものの、登山はほとんど未経験でどうなることかと思ったけど、終わってみればあっと言う間でなかなか楽しい企画でした。

18日(金)の早朝に5合目の須走口に集合。関東地域の人が多いけれど、遠くは福井・富山・山形からの参加者を含め、総勢10名。雪山でしか顔を合わさないことが多いメンバーなので夏場の再会を喜んだ後、登山口の土産物屋さんが入れてくれたキノコ茶を飲んで出発。

普段のハイキングなら、先にダーッと登っておいて、疲れたら他の人を待って休憩 ...というパターンなのだが、ここは富士山、そんなことしたらとてもじゃないが持たないと思い、ダラダラ歩く。もっとも、7合目近くの頃にはダラダラ歩くのではなく、ダラダラとしか歩けなくなっていたのだが...

Tozan (←7合目あたりかな?:赤い服が俺)
7合目を過ぎた頃には、ちょっと歩いては深呼吸をして息を整え...な状態だったが、最後尾の登山隊長に励まされながら午後2時頃には何とか8合目の山小屋に到着。

ここで宿泊するのだが、横一列にびっしり並べられた枕に誰もがカルチャーショックを受けた。本当に自分ひとりが仰向けに寝る幅しかないのだ。全員が床に着くともう人間枕木状態。

ちなみに、予想はしていたことではあるが、登山道の各所にある山小屋で売っている物の値段は凄まじい。8合目についた頃には、500mlのペットボトル\450を見て誰もが“あそこは安い!”という感覚になっている。泊まった山小屋でもレトルトのカレーが\1,200、カップ麺が\600。まぁ、ここまで運んでくる手間を考えれば仕方ないとは思うが。ちなみにトイレは\100のところと\200のところがある。無料トイレはない。

Makura_1 (←山小屋での人間枕木模様)
さて、山小屋。窮屈極まりない環境も手伝ってか、メンバーの一人が軽い高山病になり、息をして空気を吸い込むのが辛そう。大変だなぁ?と思いながら自分はビールなんぞを飲んでいたのだが、その後、自分にも災難が降りかかってきた。

今回、防寒具も雨具もストックも揃え、それなりに準備万端なつもりで望んだのだが、1つ、まったく考えの抜け落ちていたことがあった(今から思えば)。それは、太陽。台風が接近していた最中、予想外の好天に恵まれて喜んでいたのだが、自分的にはそれが仇となってしまった。夜、寝ようと思うと頭が痛い。高山病かな?と思ったのだが、どんどん体が熱くなってくる。息が苦しいとかはないのだが、高熱のときの状態に似ている。日焼け止めは塗ったのだが、顔と首と手が真っ赤に焼けている。これって日射病? 隣に寝ていた友人にも「熱波が出ている!」と言われ、ウェットティッシュで顔を冷やしたりしたのだが一向に快方に向かわず、そのまま午前2時、出発の時刻になってしまった。

Ss1 (←山頂写真:なぜか俺がいない!)
この時刻に出発しないと山頂での御来光は拝めない。とは思うものの、体が動かない。仕方なく自分と高山病らしき友人を残して、先に出発して貰う。今思えば無理してでも一緒に出れば良かったかな?とは思うけど、あの時は“悔しい”と思う余裕もないくらい体がきつかった。実は3日以上経った今も軽く頭痛が残っている。恐るべし日射病! 学生の頃、朝礼で倒れる奴がいたのは覚えているが、この歳で、この状況でなってしまうとは...

とは言え、御来光くらいな見なきゃならん!と高山病らしき友人に起こされ、他とは2時間近くの遅れで無理やり出発。俺よりは元気そうな(?)友人には先に行ってもらうことにして、自分は超スローペースで登る。しかし、本8合目付近ではすでに1歩ごとに頭に激痛が走るようになってしまい動けなくなる。

Raiko (←御来光)
ちょうどそこで御来光。いやぁ、あれは圧巻だな。雲海の端ではなく、真ん中から太陽が現れるのには誰もが驚いたようだった。富士山での御来光、1度は見てみるものだと思う。

その後、登るのは無理と判断し、一人で下山道へ向かう。下山とは言え、頭痛がひどいのでこれまたトロトロと下る。高山病なら高度が下がるとマシになると思うのだが、日射病に伴う発熱&頭痛なので、いくら下っても頭痛は治まらない。

“楽しい!”と言う人と、“つらい!”という人の2派に分かれる須走口登山道名物の“砂走り”を経て(俺はつらかった!)、朝の8時半頃に下山完了。驚いたのはその10数分後に、山頂に行ったメンバーの1人が下山して来たこと。ちなみに、ほとんどの下山中メンバーはその頃に8合目付近だったはず。なんちゅー早さじゃ!

お昼前には全員が下山完了し、そのまま温泉に直行。宴会だけ参加する他のメンバー達とも合流し、コテージに荷物を降ろして、夕方から深夜に及ぶ大宴会となったのでした。

さてさて...周りからは当然のようにリベンジを促す声。また来年も企画するかな?

求ム! 2度登るオバカさん達!

2006年8月17日 (木)

いよいよ

明朝から富士山登山。

天候が何とも微妙な感じだけれど、体力はあるが登山初心者揃いの企画なので、無理しないように気を付けなきゃね。

家の者が留守なのをいいことに、今日はスノボ界のビッグネームを含む友人達が泊まりに来るので、取り敢えず前祝いだな?!

2006年8月10日 (木)

人生、次の転換ポイント

今週月曜、思わぬ電話が入った。

実家(大阪)の親父が下血して入院したらしい。末期の食道がん。おそらくあと数ヶ月...。嫁と子供は海外だし、自分は上海から帰って、なんちゃってシングルの時間をほけほけと過ごしていた最中、一気に状況が変わった。

俺とは正反対の頑固職人気質。病に対しては用心深いが強気なので、いつか入院するような事があったら、そう長くはない状況になるだろうという覚悟は前々からしていたのだが、67歳、思ったより早くその日が来てしまった。ヤクザのような(?)外見&性分とは裏腹に、メンタルは脆く、不意打ちにことのほか弱い。さぞ凹んでいることだろう。

他人事としてはそういう末期がん患者に対するケアの話はあれこれ聞いていたが、実際、自分の身に降りかかると本人に会ってなんと声を掛けて良いものやら...

残されたあと数ヶ月の命。自分が亡くなった後のことは心配しなくて良いから、残された少ない時間を有意義に過ごして欲しいと願うしかない。

俺らの歳ともなると、今まで自分が頼ってきた上の世代が徐々に欠けてゆく。こと親の死というのは、結婚や子供の誕生と同じく、人生の大きな転換ポイントになるような気がするな。

明日、久々に気の重い帰省になるが、皆で乗り越える、いや、受け止める状況を作らなければ...

2006年8月 5日 (土)

今日のメンバー

060805_12430001 今日は密かに進めているたくらみの下合わせ。

うちのギターくん達と、お馴染みの鍵プロくん所有の珍しい楽器を持ってきて貰って遊びました。

一言で「鍵盤ハーモニカ」と言っても、様々な種類があってそれそれの音色がある。面白いけど、曲による使い分けも難しいね...

次は新しい組み合わせ(?)による歌姫達との下合わせ。

※上の写真の前列、右側のブルーのは前にも書いたことのある鈴木楽器のアンデス、そして左側の三角形の大きな鍵ハモは見る人が見たら超垂涎の品、HOHNER の Claviora です。今となってはどちらも手に入らない財産的価値のある楽器ですな。

2006年8月 3日 (木)

初滑り1番乗り?

上海から帰ってきました。ま、色々と話のネタはあるのだけれど、おそらく俺のブログを見てくれている人の多数派が興味のありそうな『上海銀七星室内滑雪場』ネタを...

昼間の仕事と夜の接待攻勢(かなり贅沢させて頂きました!)で真夜中以外、ほとんど自分の時間がなかったんだけど、最終日は夕方の飛行機の時間までオフができたので、朝から出陣!

日本語の通用する仕事と違い、まったく喋れない上海語しか通用しない郊外に地下鉄とバスとタクシーを駆使して(?)1人で行くので、もう終始ドキドキもんでした。思っていたより遠い場所で、事前に仕事のスタッフが大まかな場所を調べてくれておいたから良かったようなものの、前知識なく行ってたら帰って来れなかったかも?

08020001上海郊外の莘庄の辺りを車で走っていると、見えてきたのは昔、千葉にあった滑り台のお化けのような建造物。ザウスは行ったことなかったけど、外観は真っ白でザウスより低くてのっぺりした感じ。中に入ったら、意外なことに英語の表記すらあまりなく、他の人の動きを横目で追いがら行動開始。

すご~く簡単にここのシステムを説明すると、まず、チケットを買って、その横でチェックイン手続き。ここで身長とか体重とかブーツのサイズを申請。その後、2Fに行ってウェア(上下・グローブ・使い捨て簡易ソックス)を受け取る。着替えたらゲレンデフロアに行ってブーツを貰う。黙っているとスキーブーツを持ってくるので“Snowboard!、Snowboard!”と大声で連呼。で、ブーツを履いたら別のカウンターに行って板を受け取る。スタンスとか色々聞かれたので(と思う。上海語なんでわからん!)“グーフィー!”と言ったら、お兄さんが頷いて持ってきてくれたのだが...こ、こ、これってほとんどダックじゃん! しかも...かなり年季の入った道具たち。板もワックスなんかのメンテはしてそうにない。

上海語が喋れたらドライバーを借りて...と思うかも知れないが、ハッキリ言って、アングルだのスタンスだの、そんな細かい調整をさせて貰える雰囲気ではありません。そう、ここは中国なのだ。それを忘れてはいけない。渡された道具で滑る!これが鉄則。...ここまでで賢明な方は気付いたと思うが、自分の道具を持って行って練習する場所だと思ってはいけない。あくまでも「アミューズメント」の1つと考えるのが正解。というか、おそらく自分の道具は持ち込めないんじゃないだろうか?(わかんないけど)

滑ってる人を見ても、どー見ても経験のない人か、きっとここでしか滑ったことのないような家族連ればかりなのだ。ちなみに、俺が行ったときはスキーヤーが90%を越えてました。数人がパークにいただけで(キッカーとかレールはある)、少なくとも「滑走」しているボーダーは俺1人だった。

08020002 ←これは最上部からの全景。ここはコースが3棚式になっていて、1番下のコースが初級者、真ん中が中級者、最上部は上級者...と指定があるのだが、ハッキリ言って、明確な違いがわからん! 敢えて言うなら、滑っている人の数が違うせいで上部に行くほど雪が固いことかな? 中国の人達はコース表記をきっちり守るようで、ほとんどの人は1番下の初級者コースでしか滑っていない。中級者コースにはパークで遊んでいるボーダーが3人とスキーヤーが2人。上級者コースに至ってはなんと俺だけしかいない。

だったら上級者コースを攻めれば?と思うだろ。 甘い! ここは中国なのだ! 中級者コースと上級者コースは「ハイクアップ」して自分で登らなければならないのだ!(一応、ロープでぶら下げたリフトまがいのものはあるが、下がマットだしボーダーは乗れない)  上部のコースに行くと、コースの難しさで疲れるのではなく、ハイクアップで疲れてしまうのだ。ふぅふぅ良いながら登って、直滑ればわずか10数秒でお終い。とてもじゃないが、気持ち良くカービングでターンできる斜度も距離もない! どうだ、すごいだろ!!

08020004 アルペンの人はどこでもぶち当たる問題だと思うが、日本でもレンタルにアルペン板はない。俺にとっては実に4年ぶりのフリースタイル。しかもダック。しかも短い板でアングルもとれないのでブーツがはみ出しまくり。とってもとっても悔しいが、まるで思うように滑れない。上級者コースは誰も滑らないのでアイスバーンに近い状態になっていて、サイドスリップをかけると“ゴォーッ”とものすごい音がして、下から注目の的。さすがに転ぶようなことはなかったけど、1人で上級者コースを占有するには恥ずかしかったかな?

...などなど、滑ったとか、面白かったとか、練習になったというよりは「話のネタ」として良い体験でした。道具も設備もバーンもメンテされていると言う意味で???だが、単純にそこに行って家族でスキーを楽しんでいる人達を見ると、俺らが知っているウィンタースポーツとしてのスキーやスノーボードとはまったく違った、こういう楽しみ方もあるんだなぁ?と言った感じ。1時間コースだと98元なのだが(\1,500くらいかな)、地元の人達にとってはかなり高額なアミューズメントだもんね。

中国では2008年の北京オリンピックまでに『世界最大の屋内ゲレンデを作る!』という構想があるそうだが、世界一大きいだけの屋内ゲレンデにはしないで欲しいなぁ...。できれば日本から自分の道具を持って滑りに行きたくなるような設備とかレイアウトにして欲しいなぁ...と思ったのでした。

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