ツアー中、数少ない観光の中でもやはり印象に残ったのはセネガルのゴレ島かな? ユネスコの世界遺産に登録されている島。
ダカールの港から船で20分ほどの場所。パッと見、リゾート地のようにも見えるし、芸術家の島とも呼ばれているだけあって、セネガルのいろいろな分野のアーティストが集まっていて作品を展示販売している。一昔前の原宿ホコ天の絵画・造形版って感じ。
しかし、世界遺産になっているのには理由があって、ここはその昔、アフリカの最も西端に位置することから奴隷貿易の要衝だった場所であり、奴隷を収容・荷出しするための施設がそのまま残っている。
その建物を訪れたが、何とも複雑な心境だった。体重60Kg以上の男性が収容された部屋/商品価値のない体重60Kg以下の人たちを収容して、太るまで出さないための部屋/若い容姿の良い女性だけが集められた部屋(...その部屋に収容された女性は欧米人との間に子供が出来た場合のみ奴隷身分から解放される)/目と歯で価値が決まる、子供が集められた部屋。いずれの部屋も恐ろしく狭く暗い。数畳の部屋に十数人が収容されたそうだが、座るのもままならないくらいのスペース。そこから出られるのは1日1回のトイレのみ。当然、不衛生でペスト流行の元凶となる。
中でも“帰らぬ人の扉”と言われた、実際に奴隷船に乗せられる桟橋へ出る扉に立ってみたときの気分は複雑だった。昔、その扉をくぐった奴隷は二度と帰ってくることはなかったのだ。今は...その扉の向こうには穏やかな海の風景。が、その昔、奴隷たちがここをくぐる時にはどんな心境だったのだろうか? 中には桟橋から海に飛び込んで逃げようとする者もいたらしいが、当時は周辺に人喰い鮫が放されていたそうだ。
2年前、大洋州ツアーでソロモン諸島を訪れた時にも同じような心境になった。第二次世界大戦で日本軍と米軍の最も激戦地と言われたガダルカナル島。ゴレ島と同じく、今は穏やかな南国の海の風景しかなかったが、当時、送り込まれた兵士たちはこんな遠い所でどういう心境だったのだろうか?と思っていたたまれなくなった。
そういった場所に自分自身が立ってみると、写真からは感じ取ることの出来ない「何か」を訴えかけられる気がする。不思議なことに、当時の音が聴こえてくる気がするのだ。戦闘機の音、爆弾投下の音、鎖をひきずる音、牢獄からの呻き、罵詈怒号、桟橋が揺れる音、etc...
アフリカの奴隷貿易そのものには日本は関係していないだろうが、それぞれに重い歴史を持つ人達と出会い、一緒に仕事をする。アフリカ人・アジア人・欧米人、関係なく出会いの握手を交わし、ほとんど通じない言葉で打ち合わせをして(どの国も英語はほとんど通じない)、公演を終え、笑顔で成功を称えあう握手をする。ほとんどが二度と会うことのない人達なのだが、一緒に何かを成し終え、喜び合う。なんとも幸せな事だなぁ~...と思うと同時に、そういうことを幸せに感じられる自分が嬉しかったりもする。
仕事って、本来はこういう喜びがあるべきものなんだろうな。日本での実際は...悲しいかな、あんまりないけどさ?!
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