昨日は、例年、スノボモードからから日常生活(?)への復帰最初のコンサートとなる経王寺 「はなまつり」の本番。(自分が出演者なので写真が撮れない...)
大袈裟に言えば(?)音楽監督のような立場でもあり、演奏者でもある。また昨年から、純然たる演奏会ではなく、お釈迦様のストーリーに沿った語り・声明・雅楽のコラボレーションという4年連続企画になった。今回はその2回目(2年目)。
純然たる雅楽のコンサートとは違い、演劇系の方々・僧侶の方々・雅楽の方々と、普段は活動の場もしきたりも違う世界の人達が集まって、1つの舞台を作る。正直、これはなかなか一筋縄ではいかない。あっちを立てればこっちが立たず。そのほとんどが「実験」という要素を多分に含んでいる。
“そもそも何を見せたいんだ?”から始まり、様々な要因を調整し、或いは妥協し、何とか1つのものを作ってはいるが、出演者全員が納得できる、そして見に来た方々が満足できる完成度にはまだまだ遠い。
いずれ書こうと思うが、演劇人と音楽人(とくに雅楽人)の舞台に対する感覚はかなり違っている。雅楽の中ですら、ポピュラー寄り感覚な俺とそうでない人との距離感はある。(仲が悪いとかそういう意味ではないよ)
今年のはなまつりが終わって、早速、来年のはなまつりの準備が始まる。その前哨戦と言うべき打ち上げ。たわいない世間話から始まって、はなまつりの在り方、演劇人と雅楽人の考え方の違いの摺り合わせ、それぞれが今の立場に至るまでのバイオグラフィーなど、笑い話から激論まで、夕方5時半に始まった酒席、俺が最後の一杯を飲んで横になったのは朝の4時半だった。
『歴史は夜作られる』という有名な言葉があるが、俺は「バンドは飲みで作られる」が持論。正直、お客さんに見せられる舞台を作るだけなら、有る程度の力量の人間を揃えればそう難しいことではない。しかし、その舞台に対する思い入れ・コンセンサス・連帯感・etc...は、リハーサルで作られるのではなく、下世話な色恋沙汰の話から高尚な芸術論までが飛び交う酒席でこそ形成されるのだ!
その意味では、規模もさほど大きくないし、それほど宣伝するわけでもなく、世に知られているわけでもないこの企画だが、演者側にとってはなかなか濃い内容を持っている。
願わくば、その“濃さの意味”を出演者全員が汲み取ってくれれば良いのだが、ショービズとしての歴史をほとんど持たない雅楽の世界で育った人(正しい雅楽人)にそれを伝えるのは難しい。これまた、はぐれ雅楽人(間違った雅楽人)である俺の1つの課題でもある。
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