ヒグラシのドローン
わけのわからんタイトルだな?!
高尾山中に籠もってたんだけど、ちょっと面白いことを発見。ってか、気付いた。昨日、珍しく9時に寝たものだから夜中の2時頃に目が覚めてしまった(オジンか??)。 寝付けないので仕方なく1時間ごとくらいに何度となく真夜中の散歩。
■午前3時半
川の音だけが森の中で乱反射して聞こえてくるので、意識すると四方八方をものすごいホワイトノイズで覆われたような感覚になる。まさに“アンビエント”音楽な世界。ここにミニマル的なメロとかビートがあったら“トランス”音楽になるな ... と、アンビエントとトランスの共通点を見出す。
■午前4時半
夜が明けてきて、うっすらと明るい。ヒグラシと色々な鳥の声が聞こえてくる。ここで不思議なことに気付く。さっきまで全体を覆っていた川の音が、ヒグラシと鳥が入ったことで、音の存在が全体ではなくベースに変わってしまっている。音が下にあるのだ。そして中間部をヒグラシのハーモニーともドローンとも言える音が埋めて、上物として鳥の声が乗っている。なんともリッチなオーケストレーションが成立しているのだ!
■午前5時半
けっこう明るい。ヒグラシの声は止んで、川の音と鳥の声だけ。するとこれまた不思議な音空間になっている。何というか、虚ろなのだ。悪い意味ではない。音空間が重層的ではなく、輪っかのように輪郭がハッキリしている。“あれ?この感じ、どっかで覚えがあるぞ ... あっ!”、そう、この感じって邦楽なのだ! ヒグラシが入った重層的な音空間は洋楽的なのに対して、中間部を埋める音がなくなった輪郭の明瞭な邦楽になっている。
★まとめ
どれも面白いのだが、ふと、自分が好きになる楽器について考えたとき、俺ってヒグラシ派なんだ!と気付く。雅楽における笙はまさにそうだし、昨今はまっているハーディ・ガーディもヨーロッパの伝統スタイルの中ではバグパイプが上物になるので、おのずと中間層を埋める役割をしている。共通点は、前面に出る音ではなく、雰囲気とか空間を支配してる系統の音ということだろうか?
ちなみに総論として、雅楽そのものは明らかに午前3時半の状態。オーケストレーションとか輪郭よりも塊的に音空間を作ってしまう。“ここにビートがあったらトランス”と言ったが、確かに雅楽に絃楽器が入ると本質は同じなのに世界が変わるのはそういうことか??
あと、上物の存在感も面白くて、ヒグラシがあると鳥の声(上物)の遠近感がすごくハッキリすること。比して、ヒグラシがないと1つ1つの鳥の声はハッキリしてるのに遠近感がなくなること。
別に武満徹にインスパイアされているわけではないが、雛形って自然の中にあるんだなぁ。
ここで前々から気になっていたこと...ヒグラシって定常的に鳴っている単旋律だからハーモニーと言うよりはドローンのような存在。じゃあ、ドローンってなによ? 求ム、楽理的解釈!
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