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何度か書いた気はするが、20歳で上京したときのこと...“大学やめて音楽やる!”などと宣う息子に親は当然猛反対 なわけで、結果として『親公認の家出』みたいな状態だった。とりあえず上京して音響関係の学校に行こうとしたのだが、今さら親に学費を出してくれと言えるわけがなく、日本経済新聞社の新聞奨学生という選択をした。学費と食住を提供して貰う代わりに、2年間、新聞配達と集金に従事するのだ。
大波小波支離滅裂だったその2年間の話はかなり長くなるのでまたの機会に置いといて 昨夜、その頃一緒に新聞屋で生活していた仲間との宴会があった。ほとんどのメンバーが10年ぶり。中には奨学会を修了して以来、20年ぶりの友人もいた。当時の所長の奥さん(所長は7年前に亡くなった)を交えた総勢9名。
当時の友人には専業になって専売所の所長になった人やもっと偉いさんになった人も居るのだが、20年以上も何百人という奨学生を見てきて、こうやって再び集まって飲み会をしようと思うメンバーは希有なんだそうな。まぁ、それだけ良い意味でキャラクターの強烈な連中が、たまたま俺が在籍した2年間に集まっていたということか?
そのせいか、容姿はオッサンになってはいるものの、話して騒いでいると昔とちっとも変わらない。それぞれの強烈なキャラクターは20年という歳月を経ても健在なのだ。それが何より嬉しい
長い人生のほんの一時を共有しただけなのだが、皆それぞれに、それぞれの世界でいっぱしのポジションで活躍して、そしてこうやってまた集まるというのは本当に感慨深いものがある。当時は“早く抜け出したい”とか“もうヤダ!”の日々だったのだが、今振り返ると皆が口を揃えて「何だか楽しかったなぁ」と言えるのは時間の魔術か?
思い起こせば、今でこそDAW(Digital Audio Workstation)を当たり前に使って仕事をするけど、当時、上の階に済んでた奴(写真の1番右)が持ってたFM音源カートリッジを搭載したMSX パソコンを借りて楽曲のプログラミングと音色操作にはまりまくったのが今に至るきっかけだった。
そして何より、先行きの見えない何のマイルストーンも持たない生活の中、たまたま見ていた「ぴあ」の片隅に載っていた広告、『越天燦響-雅楽 宮内庁式部職楽部特別公演』が俺のその後の人生をまるで変えてしまったのは言うまでもない。
ところでタイトルの「不着」。「不配」とも言うが、要するに新聞の投函し忘れ。2年間、俺は新聞屋で「不着王」の名を欲しいままにした ...単に入れ忘れが多いだけなのだが。
朝刊と夕刊の配達、性格的に黙々と配達するだけでは飽きたらず、店を出てから戻ってくるまでの約2時間で完結する物語を作りながら配達していた。ラブストーリーから英雄伝、サイエンスフィクションに至るまで様々なストーリーを日夜作っていた。もし記録していれば2年間でざっと1000作以上の物語が出来たと言うことか?
いや、そんなことしてるから「不着王」だったわけで?!
...ということで、20数年前のこととは言え、俺の配達区域だった杉並区の荻窪・南荻窪・宮前・成田西界隈の皆様には大変ご迷惑をお掛け致しました
※日本経済新聞育英奨学会 ... 今見て思ったけど、俺らの頃より待遇面・業務面ともに格段に良い条件だなぁ?!
ついに見つけた。30数年ぶりの御対面。いや、御対耳?
ヴィヴァルディの Concerto for 2 Trumpets in C Major, RV 537。
小学校3~4年生頃かな? 初めてラジカセを買って貰って、FMをエアチェックして録音したのがこの曲。毎晩、寝る前に聴き続けていた。が、恥ずかしながら曲名も作曲者も演奏者もわからなかった。ただ、2つのトランペットが絡んでいるこの曲の最初から最後まで口ずさめるほど耳に焼き付いていた。
...なんだか昨日から妙にヴィヴァルディの「四季」を聴きたくなったのだが、俺にとって「四季」は、小学校の頃、親戚のお爺ちゃんの書斎にあった1枚のレコードの音源が基準になっている。イタリアのイ・ムジチ合奏団。それも1959年の録音でフェリックス・アーヨ独奏のもの。色々な合奏団がこの曲を演奏しているが、どれを聴いてもこの音源より良いと思ったことがないくらい好き。冬の第二楽章なんてもう絶品!
その時のレコードは今でも手元にあるのだけれど、プレーヤーはないし、Amazon や iTunes でリマスターとして再販されているCD音源を探していて、このトランペット協奏曲を見つけた。もちろん即買!
曲が始まるや否や、昔の実家の部屋の風景、絨毯の色から天井の模様、隣の部屋にいた両親の姿までが一瞬にして甦った。
そして、この「トランペット協奏曲」で『音楽』に興味を持ち始め、「四季」で演奏者に憧れ、「パッヘルベルのカノン」で作曲というものに憧れた自分も思い出した。
三つ子の魂百まで...その後、バロック一辺倒な小学校時代を経て、中高でポピュラー音楽に走って、何故か雅楽に辿り着いたけど、自分にとって音楽の原風景、ここから始まったんだなぁ
「平安朝の雅楽-古楽譜による唐楽曲の楽理的研究」という本を読んでいる。音楽書ではあるが、普段我々が見ている楽書ではなく、古楽譜の解読を通して平安期の雅楽から今に至る雅楽への楽理的変遷を論じた純然たる学術書。
著者は遠藤徹氏、現在は学芸大学の助教授で音楽学博士。かつて在籍していた「オリジナル邦楽工房 ほうきぼし」というユニットで一緒に活動していた友人である。
最近、何気に興味が復活して雅楽(特に楽琵琶)に関する本を漁っていて、そのうち閲覧に行こうかと国会図書館や宮内庁書陵部なんかが所蔵する楽琵琶に関する書籍なんかをリストアップしている。
個人的にも、平安末期から伝わっている「伏見宮旧蔵楽書」の写本やら、現在に至る古楽譜解読に先鞭を付けた林謙三氏の論文なんかも少なからず持っているのだが、情けないことに読めていない。(;;)
読めないのには2つ理由があって、まず写本・伝本含めて古典籍は漢文調で書かれていたりするのでお手上げ。論文は、雅楽(唐楽)を中心とする古楽譜の解読には当時の中国(唐代)の楽理が根底にあるので、これを理解するのが難しい。西洋音楽のそれとはまったく違うし、頭でわかっても音として把握できないのだ。
そんな中、遠藤氏の本は“今の言葉”で解説されているので、理解したと言うより、理解した気になる。彼の性格もあってか、他の人の論文にはないような痒いところに手が届く付説が載っている。何より断片ではなく、全体を包括した内容なので、読んでいる最中に“あれ?これって何だったっけ?”と別の本を引っ張り出さなくて済むのが有り難い。
...とは言え、内容の1/10も理解できないだろうが、ハードロッカーでもふとブルース立ち戻って何かを掴むように、新しい発見というか刺激があればいいかなぁ?って感じ。
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